「レゴで、灘校つくろうや。」
〜灘校模型ができるまで・下準備編〜
時は2010年、秋。
皆がボール遊びをする旧中庭で、何をするでもなく東館をぼんやりと眺める生徒がいた。
にーなである。
本名を書ければもう少し雰囲気が出るのだが、そうも行かない。ミスマッチを楽しめる寛容な人間になろう。
彼は校舎を眺めてその美しさに感心しているわけでもなければ、別れた彼女のことを思ってタバコの煙をくゆらせているわけでもない(そもそも彼女がいたことはない)。
にーな(文化祭どっち作ろかなあ……)
彼には悩むべき問題があったのだ。そう、2010年度文化祭で作ってしまおうと考えていた東館である。
2010年度文化祭では、校舎を作り始めるのがあまりにも遅かったために校舎を二つ作る余裕がなかったのだ。
非常にまずい事態である。われわれ64回は当時高校2年、つまりどうあがいても2011年度文化祭は灘校生活最後の文化祭なのだ。
東館には失礼だが、この校舎の知名度は薄い。
中庭からは半分ほどしか見えず、ほかに見えるアングルといえば道路とフェンス越しの第二グラウンドだけというこの校舎の外観が、生徒ならまだしも外来の方に浸透しているとは思いがたい。
しかもその最大の特徴である天体観測室の銀色をどう表現するべきなのだろうか。
にーな「……帰ろ」
さて、どうするべきだろうか。
今まで作ってきた校舎は、本館、旧校舎、武道館の三つ。そのすべてが中庭に面している。
正門をくぐってすぐ前に見える本館、そして右手にある武道館、中庭を挟んで本館の向かいにある旧校舎。
ここまで揃っているからには、中庭付近を仕上げてしまいたいものだ。
東館を作るのは恐らく楽である。ほかの校舎と比べてそれほど大きくないからだ。
基本的に、大抵の校舎は一定のユニットの繰り返しになっているので、両端や真ん中などにあるイレギュラーを除いて、分担すればすぐに作れる。
大きさと作りにくさはほぼ比例していると考えていい。
ここまで好条件が揃っていて、なぜまだ悩むのかというと、それは逆に東館があまりに簡単すぎるからである。
多分、多くの人は
「去年と何が違うの?ああ、東館?そんなところをねえ」
と微妙な反応をするだろう。やる前からわかってしまう。
本来有終の美を飾るべき最後の文化祭、そんなことでいいのだろうか。
東館で凝れそうなところもあるにはあるが(ドーム等)、やはり皆の目に付く新校舎も作りたいのだ。
去年までの文化祭中、他の部員たちと同様に自分も教室内を巡回していたのだが、そのとき外来の方の話の内容が耳に入ってきたりもする。
それが作品への批評ならなおさらである。
「これってあれ?あの校舎?」
そう言って新校舎を指す人がいるのだ。確かに旧校舎の内部から旧校舎の外観を見ることはできないが、明らかに違う校舎を指差されればやはり悔しい。
単に見えるほうを指しただけという理由ではなく、新校舎の方がお客の印象に残っているのではないだろうか、とにーなは常々思っていたのだ。
にーな(やっぱり新校舎も捨てがたい……)
だからこそ、そうだからこそ新校舎を作りたい。新校舎を作っておけば、当然だが旧校舎と新校舎を間違われることはないだろう。
隣に比較用の写真を置くという手もあったが、そこはLEGOビルダーのサガ。やはり作ってしまいたいのだ。
にーな(しかし去年と同じペースで行くなら二つ作るのは不可能……さすがに新校舎は武道館と同レベルには時間がかかるハズ)
にーな(しかも4月とは言え高3……時間はそんなにはとれない)
にーな(……どうする?)
なぜこんなに悩んでいるのか。それは、にーなが心配性というのもあるが、3学期には生徒会に企画調査書を提出しないといけないからだ。
その頃になって考えていたのでは締め切りを破りかねない。締め切りを破ったクラブ・サークルは、基本的に出展できないのだ。
それを恐れないわけがない。用紙を貰ったら最後、次の瞬間には書き込むところが埋まっているというくらいには準備しておきたかった。
そこでにーなの採った方法は、
HIwai「いけるいける!だーいじょうぶやって!」
キクチ「大丈夫なんじゃない?」
ブッダ「いけるん……ちゃうかなあ」
imamu「うーん、どうやろ……まあいけるんじゃないかなぁ?」
おぎ「大丈夫やろ」
この話を持ちかけたときのそれぞれの反応である。考えて損した。最初から聞いておけばよかったのだ。
作業スピードは折り紙つき。あとは皆がどれくらいの日数働けるか、ということが悩みの種だったのだ。
言質は取ったからな?
この瞬間、作る校舎が決まった。東館、そして次に新校舎。毎年かなり急いで作っていたが、それはゆっくりしていたからだ。
ちゃんと計画を立てて早め早めにやっておけば、間に合わないはずがない。夏休みの宿題と同じ理屈である。
さて、そうと決まれば話は早い。いつもの通り、設計をしようと目論んで中庭に出かけた。
……なんか後ろで不穏な気配が。
にーなの後ろ、東館から中庭を挟んだ向こう側には武道館がある。にーなの部活動は柔道部。休みがちな、それこそ柔道部長(笑)である。
ということは?……放課後、武道館のところには部員や顧問が集まる。文化祭準備という大義名分があると言うのに、なんとなく気まずい。
行こうと思ったら白い柔道着の端が見えて引き返したこともしばしばあった。
仕方なく写真を数枚撮ってマッハで教室に戻る。毎年のように実地ではなく、教室に篭って方眼紙に図を描いていく。
基本的に、校舎は窓が多い。よってわれわれの校舎作りの尺度になるのは、大抵窓である。
旧校舎の窓のサイズや、本館の高さとの比較(目測)を通して、大体このくらいの大きさというのを決めてしまう。
全体のサイズが決まった後、ようやくディティールを詰めていくのである。
こう書くとまるで2010年の秋から設計が始まっていたかのように思われるかもしれないが、それは誤解である。
秋は漠然とどちらを作ろうか考えたり、学芸祭 〜組対抗寸劇コンクール〜 の準備に追われているうちに過ぎていってしまった。
こんなに具体的に考え始めたのは12月、それも期末試験が終わった中旬以降である。
しかもTOPを見ればわかるように、
なんら具体的なディティールは決定しておらず、概算でどのくらい金とパーツが必要かくらいしか算出していなかった(それはつまり大きさは決定していたということなのだが)。
さらにせっかく皆が集まっても、やることといえば馬鹿話ばかり。
この前出たゲームがどうだの、前見たpixivの絵がどうだの、前読んだ同人誌がどうだの、生産的な話が進む気配がない。
そのままずるずると、年が明けてしまった。
* * *
1月、新学期が始まってもやはり仕事が進むわけではない。
始業式で「文化祭企画調査書」が生徒会から配られたからだ。
校舎の設計は置いといて、とりあえずそっちを先に終わらせようと考える。
しかしこれがまた記入事項が多いのだ。
企画名は勿論、責任者、会計担当、顧問印、展示内容、印刷物の量と内容、希望する展示場所、各種広告を出すか否か、そして予算に資材申請と、
結構書かないといけないことが多いのだ。
これらを自分の独断で書くわけにはいかないと判断したにーなは、部員を集めようとするものの、割とつかまらない。
高2の3学期ともなると、模試を受けたり塾に行ったりと皆忙しい。
予定が合うことも珍しいため、結局数人と話した後残りと話して、意見の違いがあればそれをまた話し合って……と、無意味に走り回った。
結局すべての項目が埋まって提出できたのは、締め切りの1日前。あと2日遅ければ文化祭に出られなかったところだ。
印刷物は大目に申請。超えてしまったら削らないといけないが、足りない場合は、手間が減る優しい印刷課は「しょーがないなあもう」などと言いつつニヤニヤしながら印刷してくれるだろうからである。
展示場所は、例年の経験則からして教室だと狭くなってしまうため、大き目の教室を使いたい。
去年ですら、人の入りが激しかった時間帯は満員電車のようにギュウ詰めだったのだ。校舎が二つ増えるなら、さらに混雑必至である。
しかし特別教室(化学実験室,生物教室...etc)は、たいていそれ専用の部活がある(化学研究部,生物研究部...etc)。よってそこは使えない。
なら開いている教室は限られてくる。美術室である。
なぜか灘校には美術部が無い。以前から不思議に思っているのだが、そんな感じの文化祭企画が現れては消えするような感じである。
よって美術室は使える可能性高し。第一希望に美術室と書き込み、第二希望第三希望に旧、新校舎の各教室と書き込んで提出した。
さて、問題の予算である。
我々の予算がいかに冷遇されていたかは、このサイトの端々にちらほら見受けられるはずだ。もうここには書かないことにする。
今年は2つ作ることもあり、例年の倍額を申請した。至極当然である。
* * *
と、こんな様なことをしているうちに1月が過ぎ、2月に入った。
1、2月は授業がない。それは言い過ぎかもしれないが、灘校は中学、高校2つの入学試験を行うため、月の1/3ほどが休日になるのだ。
この期間は、中学生はスキー講習があったりなかったり、高校生は家でごろごろするなり旅行に行ったりするのだが、ご多分に漏れず自分も旅行に行っていたため、作業は全く進まなかった。
そして2月中旬、いよいよ生徒会と面談である。使える部屋、配られる資材の量、そして下りる予算などを決める重要な面談である。
TOP第57回の更新で詳しく述べているので、興味があるならどうぞ。自分は読み返しません。
肝心の予算のことだが、裏で色々とがんばったこともあり、なんと全額が支給されることになった。
ありがたいことである。しかしその代わりに、生徒会の会計担当と生徒会顧問の先生に、「絶対すごい物作りますから!」と大見得を切ってしまっているので、心労という名の支払いが待っているだろう。
昨年度から始まったベニヤ板広告も続行することに決定。
絵柄は使い回しではあるものの、それ以上にいい案も出なかったため別に変える必要はないということに。
ベニヤ板の縦横は(灘校の場合)、91cm×182cmである。これが丁度1:2であることを利用して、2×4のブロックを書くのである。
灘校LEGOサークルの文字と、東館1階と書いて、後はLEGOのポッチと同じ比率で円を描くのみ。
倉庫からベニヤ板を取ってきて、他の同好会と交渉して荷物を置かせてもらっている部室棟の一室へ運び込む。
このときは、まあ締め切りまでに描けばいいやと思っていたが、締め切り当日、なんとブッダが風邪で寝込み学校を欠席した。
これはまずい。去年もその前も、こういったお絵かきは彼に任せていたため、というか絵がうまいのがブッダしかいないために、締め切りに間に合わないのではとにーなは戦慄した。
とはいえまあ、にーなも壊滅的に絵が下手というわけではない。この程度なら描ける、ということで単身ベニヤに立ち向かうことに。
まあうまく描けたものの、字のスペースが小さい。色の指定をブッダに聞き、ポッチの境界線を影にするか実線にするかを悩んだ結果、
ペンキ塗るのは俺らじゃないし(生徒会の文化委員が塗ってくれる)、適当でいいや!と適当に指定して提出。
生徒会室にベニヤを置いてその日は帰宅した。
* * *
日時は設計編と前後するものの(というか既に日時なんて入れ替わってる)、終業式の日に“天井広告”という企画が始まると聞いて、LEGOはとるものもとりあえず参加することに。
希望通りの場所(旧校舎1階です。見てくれました?)の権利を獲得し、デザインをブッダに任せてにーなは組み立てに戻っていった。
数日後の4月15日。階段装飾の提出締め切りがその日だったと知ったにーなとブッダは、とりあえず同じ日に提出締め切りだった印刷物のほうをやっていた。
最初は5時頃までには印刷物なんて終わるだろうと思っていたのだが、意外に難航した結果として(裏表紙が手書きだったため)、無常にも下校時刻30分前の放送が鳴ってしまう。
にーな「とりあえず枠線だけ書いてくれ!中は俺が塗るし他の3枚はトレースする!」
ブッダ「うわああぁああぁああぁああ」
階段装飾を描くブッダ。
今年花粉症デビューしたらしい。
ちなみににーなは花粉に煩わされない選ばれし者(キリッ)
さて、翌日朝早くから学校に行き、階段装飾を描いていたにーなは、あることに気づく。
にーな(……これなんか違和感あるな?)
にーな(点無くね?)
書き加えました。
完成図。
三枚かいてる間にインクを吸ってしまって気分が悪くなったことは思い出したくない。
提出して部室棟を後にしようとしていると、数学研究部に見知った顔が。
創設者(wady)である。彼が呼んでほしいと希望するwadyの語感と(笑)の語感が似ているのでこの表記。
彼は文化祭の中庭ステージで踊りを披露するらしく、数研のtau氏と日々踊りの稽古を重ねているのだ。
wady「tauが来ない……」
待ち合わせ時刻から遅れること1時間、未だにtauは来ないらしい。以前もこのようなことがあったそうだが。
wady「せっかく今日は重り付けて踊ってみる予定やったのに……」
もはや意味がわからないが、彼らが意味不明なことをしでかすのは日常茶飯事なので気にしないことにする。
どうやらリハーサルの間は爪を隠すために重りを付ける予定なのだそうだ。
「あ、たいしたこと無いな」と思わせておいて本番あっといわせるんだそうで。いや重りつけたらそもそも踊れなくね?
その日は結局昼ごろまでtauは来ず、wadyは帰ってしまった。後で知ったが、彼は昨晩家に出現したGと戦っていて疲れて起きられなかったらしい。
* * *
経過すること数日。我々が組み立てている横で数研の愉快な仲間たちが騒いでいるとき、HIwaiから電話が。
HIwai「ああ、お前まだ学校おる?」
にーな「おるよ」
HIwai「部誌刷り上ったからさぁ、そこにいるの連れて印刷室まできて」
にーな「おk」
というわけで印刷室まで走る。印刷室では6,7人の生徒会員たちがせわしなく動き回っていた。印刷機のガシャガシャという音と、紙を裁断する音が部屋を満たしている。
HIwai「そこらへんのダンボールは使っていいらしいよ。あれ、紙ごみって張ってないやつ」
にーな「わかった」
取りに行って、帰って来た頃にはもはや下校時刻30分前のアナウンスは終わっていたので、とりあえず製本は後日に回すことに。
* * *
土曜日。
早めに来たにーなは、金曜日におぎやブッダがまとめてくれていた部誌を製本する作業に入った。
ただただ、紙をそろえては綴じる。
完璧に揃えようと努力していくうちに、にーなは紙の束を机でトントンと整えたときに発する音で、揃ったかどうかわかるようになった。
書き忘れていたが、そこにいたのはにーなだけではない。にーなより先に創設者(wady)がいたのだ。
書いていなかった理由は、彼がずっと後ろで踊っていたからである。
踊るwady。
熱心なことだ。ちなみにこの日は生憎の雨だったので、相方のtauは家に篭っていたらしい。
少しして、クラシック研の練習を終えたHIwaiがやってきた。
訪れたHIwaiは、固めのホッチキスに多少困惑しながらも、水樹奈々の曲を持参のスピーカーで流しながら常人とは思えない速度で部誌を束ね、綴じ始めた。
HIwai「不可能なほど燃えるでしょ Are you OK?♪」
wady「誰か何とかして!?踊れない!」
にーな「製本手伝え」
HIwai「そういえばあのチリチリ頭(ブッダ)は?」
にーな「さあ?昨日の晩3時くらいに天井広告のデザイン送ってきたから、まだ寝てるんちゃうか」
HIwai「はあ?叩き起こせ!」
にーな「ああ、もしも……留守番やった……」
HIwai「しねええええ!Fuuuuuuck!!」
1時ごろにようやく電話が通じ、会話が始まるも、どうやらにーなはブッダにモーニングコールサービスをしていたらしく、ブッダの頭はほとんど回っていなかった。
積みあがる部誌。
ちなみに、ブッダがやって来たのは午後二時を回った頃。
その日はその後もずっと製本作業をし、500部ほど完成させて帰ることに。
* * *
二日後の月曜日。天井広告作成スタート。
ダンボールを生徒会室から貰ってきて、そこに大まかな下絵を書く。
それを元に画用紙に文字や絵を描きいれ、カッターで切る。
切った画用紙を並べてみるテスト。
後ろで写真に写らないよう縮こまっているのはにーなとimamu。
その日は6時のブザーに気づかず、警備員さんが鍵を閉めるときに滑り込んで(滑り出て?)学校を出た。
翌日、ダンボールに模造紙を貼って、ブッダが家で切ってきた画用紙をペタペタと貼り付けているときに、天井広告責任者から催促のメールが。
「今日が〆切ですが皆さんの進み具合を必ず教えて下さい。まだ3枚ダンボールが残ってますが…〆切は延ばさざるをえませんねww」
すまぬ……すまぬ……
その日はLEとミニフィグだけ貼り付け終わって帰ることに。
翌日の朝7:30。にーなは普段より1時間早く来て、まだ模造紙を貼り切れていなかった部分を貼って、端を折りたたみ、画用紙に両面テープを取り付け、GOの字を貼り付けた。
あとで気付いたことだが、これだけの作業に1時間もかかるはずもなく、始業までの30分ほど、にーなはぼんやりとLEGOを組んでいた。
昼休みも同様に貼り付け作業。
貼り付けは済んで、ブッダが写真右下の開いているスペースに「東館 1F 美術室」と書き込んだ。
完成図〜当日の様子を添えて〜。
なんだかこの隣の教室でやっているのではと思ってしまいそうな貼り付け位置だが、これは文化委員がやった事なので我々は悪くない。
ついでに階段装飾。
室内なので若干暗いが、我々が中身以上に広告に力を入れていることがわかると思う。
広告を完成させ、持参した弁当を開こうとしながらブッダが聞く。
ブッダ「今何時?」
にーなはその弁当を悲しそうな目で見ながら、携帯電話が表示する数字を読み上げた。
にーな「13:08」
灘校の5時間目は、13:10から始まる。ここは教室でなく、部室等の最奥の倉庫だ。
ブッダ「間に合わなくね?」
にーな「もうどうでもよくね?」
ちゃんと授業は出席しました。
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